今回は当社のお取引様とも大きく関わりのあるアパレル業界の歴史を簡単解説していきます。
大きく分類して戦後から昭和の終わりまで。そして平成から現在まで。10年スパンでスポットを当て、どうように変移してきたのかを簡単にまとめてみました。アパレルの歴史を知りたい方のお役に立てれば幸いです。
この記事を編集している間に本ブログとも大きく関わりのあるレナウンが倒産してしまいました。。(2020年5月15日)大きなニュースに大変驚きました。。下記Yahoo!ニュースのリンク貼らせてもらいます。https://news.yahoo.co.jp/byline/kumimatsushita/20200515-00178741/
戦後、日本の経済立て直しに大きく関与した「朝鮮戦争」が勃発した事により特需が生まれたのはご存知かと思いますが、この時に糸へん景気と言われる繊維産業が拡大しました。また、より良い品質の生地が誕生し人々の生活改善に大きく貢献したと言われています。
「ガチャマン」機織り機をガチャン織れば万円単位の金の儲けが入る。
「コラセン」女工をコラッと叱れば千円単位で儲けが入る。
と、言ったまさに繊維産業の黄金時代だったのです。
「戦後ではない」と言われた昭和30年代に現代の百貨店の黄金時代が到来します。空前の好景気に日本経済が押され大消費時代へと突入して行きます。その中ナイロンやポリプロ繊維の技術が大幅に向上され新しいスタイルのファッション文化が花開きます。
今までイージーオーダーで少量生産をしていましたが、サイズの多様化や大量消費のニーズに応えられる用に製法も変化していきます。グレーディングや立体裁断と言った技術の向上に伴い、当時のアパレル業界を押し上げて行く事になります。
更に三陽商会がバーバーリーとライセンス契約をしてコートの販売を始めるなど、海外のブランド販売が盛んになって行きます。アパレルメーカー、百貨店の小売業はますます好調となります。この時代は経済も安定期に入り消費者は中流意識が高まっていきます。
高度経済成長の終わる事も想像できないその一方で、「ガチャマン」景気は終わりを見せ始め、オイルショックもあった事から国内の紡績・織物メーカーに影を落とし始めます。日韓基本条約が調印されたのもこの時代で、いよいよ海外生産へとアパレルメーカーが乗り出して行くのです。
3年は続くと言われたオイルショックの余波が景気減速のブレーキとなり、これまでの大量消費の時代から一転「節約」思考へ変化して行きます。昭和30年代に「アイビールック」の流行語を作り一世風靡したヴァンジャケットが倒産。竹の子族が流行りファッションも更に多様化して行きます。
アパレル業界に暗い影を落とし始める中、現代のアパレルトップランナー、皆さんご存知のユニクロが「UNIQUE CLOTHING WARE HOUSE」として1号店を広島県にオープンします(昭和59年6月)。現時点で俯瞰してみると日本のアパレル史の移り変わりが昭和60年からあったと言っても過言ではないかと思います。次へ続く
本執筆にあたり下記を参照させて頂きました。
ファッションプレス様/ファッションビジネス史
http://www.fashionbiznavi.org/history/fbHistory/